スリナム編(後編)に続く最終章。
ピライーバを手にした後、いわば旅のエピローグになります。
ーーー日付が変わり、未明に無事に街まで到着。と、同時に本降りの雨。
ポコが、「家に戻ってもみんな寝ているし、今日のところは船で夜を越そう」と、港(船が溜まっている場所)の隅、半分沈んでいたかなり大きめの船の中にハンモックをかけた。
日が昇ると同時に、いつもの宿へ。
この街で過ごせるのも残りの1日、まだやり残したことがある。
それは、たびたび目撃していた水路のターポン!
本流のような、1m を超える特大は居ないものの、潮の満ち引きに合わせて 30 ~ 60cm ほどの個体が水路の小魚を捕食しに入ってくる。
街に来た日から何度もチャレンジしていたけど、ひたすらに掛からない&バレる。
その理由は、固い口と掛け た瞬間から始まる猛烈なジャンプ!
さらにベイトがとても小さく、スプーンや 50mm ほどのミノーにしか反応しないため、必然的にラインが細くなる……けれど、魚は恐ろしく引く。
泳がせという選択肢もあったけど、やはり最初のイッピキはルアーで釣りたいもの。
おそらく日本にいれば、対ターポン専用チューンなんか施したルアーを選べただろうけど……ココは南米、ルアーの補充はままならない。
手持ちのルアーは限られており、ピライーバから帰りの道中、ボックスを開いて思いついたのは……去年から地元のバス釣りに取り入れていた“ミドスト”、その旅仕様。
とにかく掛からない口対策に、下側にもトリプルフック。
太系でも動かせるように、重めのジグヘッドを。
ポイントは本流により近い水路。
足場も高く、手前には背の高いトゲトゲの雑草。
掛けた後も重要になるので、誘いは繊細に、ファイトは強引にできるタックルが必須。
こんなところ。
こんな水路では「HT-6×4S」(PE2号にリーダー30lb)の独壇場となりました。
ボイルしているターポンの群れの中に入れるとまさかの一発!
掛けてからは、極力ジャンプさせずに抜きあげた!
苦戦の末に手にした、“アトランティック”ターポン!(最大で2mを超える)
南西諸島やオセアニアで釣れる“パシフィック”ターポン(最大で1m程度)の同サイズと比べれば、少し頭が小さく精悍な印象。
遠征先でもそれぞれのシチュエーションや使い方に合わせたレングス調整のできる、“ロクヨン”こと「HT-6×4S」ならではの魚だったように思います!
魚は通りすがりの少年が「お母さんにプレゼントする!」と持ち帰りました……笑。
“旅的ミドスト”で1 匹目に満足した僕は、サイズアップを目指しすぐに泳がせにシフトチェンジ。
エサになる小魚が簡単に釣れる水路に移動し、「MX-1」 でサクッと。
そのままターポンのいる水路までダッシュして、「Banheiro」を浮子(ウキ)に、泳がせ釣り開始!
1 分も経たないうちにウキが勢いよく沈み、抜き上げてみるとまさかのタイガーショベル!
こんなところで出会えるとは!!
そのあとも時間の許す限り泳がせ釣りを続け、その後は同じ種類と思われる小型のナマズばかりでしたが、とても楽しい時間を過ごせました。
「巨大魚だけが南米ではない!」
街の四方八方に伸びる水路では、そのほとんどに魚がいます。
しかも水系を変えるごとに、魚種や模様が違うので、5分程度でも空きがあれば「MX-1」 とパンを片手に水路に向かう日々でした。
熱帯魚には疎いもので、魚種はほとんどわかりませんでしたが、毎度違う魚がみれるので飽きることは なかったです。
“遠征にはタナゴ針と 「MX-1」”……これだけで出会える魚種は格段に増えることを、かなり実感しました!
カダヤシ?
ティラピア?
謎のシクリッド……帰れない。
“アマゾンタナゴ”と呼んだカラシン……いよいよ帰れない笑。
……そんなこんな、ピライーバを釣った翌日からまた寸暇を惜しんで釣りを楽しみ、“やり残し”を完遂した僕は、午後、首都パラマリボに向け帰路につくことにしたのです。
がしかし問題は帰るまで立て続けに起こる。
帰国便の搭乗に際して、コロナの陰性証明が必要だった……明日のお昼には離陸なんですが !!
何から何までお世話になりまくったジオの家族にお礼をいったあと、陰性証明の情報を求め、ジオと共に今度は首都パラマリボ近郊に住むジオの親戚の家へ。
田舎の病院では即日では結果が出ないようで、首都パラマリボで受けるしかない、と。
焦る心とは裏腹に……不安の中、あたたかく迎えてくれたジオの叔母と叔父は「まぁ飯でも食いなよ」とのんびりモード。
死ぬほど辛いソースですが、分けられていたことがありがたく……「日本にはホットペッパーは無い!」と言い訳するも、「ワサビはなんだ?」といわれ困った。
というわけで頑張って食べる(スリナムでのご飯は基本めっちゃ辛い汗)
さらに、アメリカ、ニュージャージー州にいるという親戚がどデカいストライパーをかかえている写真を何枚も見せられ、「行くなら紹介するぜ」と……。
「旅は繋がっていくなぁ。」
別れ際のハグは、旅の最後の最後にやっと慣れてきたけれど、そんな、細かいところまで含めたカルチャーショックこそ、旅の醍醐味だ。
……なんてゆっくりしてたら、目指す首都の病院に着いたのは、診察終わり時間の15分前。
急いで受付に駆け込むも「今日はもう帰るから、明日にしてくれ」ときた……。
「あと15 分あるじゃん! 公的機関まで“南米時間”なんて!」
必死に状況を説明すると、「明日の朝に検査しても、お昼のフライトには間に合う」と説得され、どう考えても不安しかないけれど、下調べ不足だった自分も悪いなと観念。
クールダウンしてみれば、僕自身が“南米時間”の中で行動するようになっていたーーー。
帰国の日。
ちゃんと“日本人”として、病院の開く時間に合わせて、受付に到着。
思いのほか、スムーズに検査を終えて、無事時間までに公的な陰性証明を獲得した。
ネガティヴって陰性って意味にもなるのか!
「これで帰れる」……最後の最後まで世話になったジオと固い握手を交わし、「お礼は必ずするよ!」と約束する。
恥ずかしい話だが、最後に事実を曝け出しておきたい。
カードをなくした僕がジャングルから戻った時点(中編参照)で、僕の所持金は1万5千円ほどになっていた。
ポコに払いそびれたボート代の残り半分は、日本にいる兄にお金を借り、海外送金システムを使って支払ったものの、帰りの移動費や陰性証明の検査費用、残りの食費などは手持ちの現金1 万 5千円で乗り切ることを自らに課した(ちなみに陰性証明書の発行に 1 万 2 千円かかった)
「日本に帰ったら、お金は必ず支払う」という僕の言葉を信じてくれたジオ(前編参照)は、2500 円ほどの前金(スリナムでの日当は 4 千円ほど)で、丸 2日間の送迎や案内、飲み物まで都合してくれた。
まさに恩人であり、僕が再訪しなければならない理由のひとつは、ジオにもう一度お礼をすることだ。
初の海外旅で得た最大の教訓は、お金について2つ。
①カードは必ず 2 枚以上準備しておくこと。
(中編で一時的に立て替えてもらったお金は、帰国後、海外送金システムを使って支払った。ちなみに、落としたカードはすぐに停止したものの、帰国後何者かが使おうとした通知がスマホに届いた……危ないところだった!)
② たとえどんな貧乏旅でも余分に予算を準備しておくこと。
初めての釣り旅の最大の学びが、釣りのことではなくお金についてなのが悔しいけど、体感を通して学んだ異国でお金が尽きることの恐怖と絶望感を、必ず今後に活かしたいと思った(自戒の意味で、最後に残ったアメリカ5ドル札は、今でも財布に残しています)
空港にあったいかにもな手土産、お金があったら買いたかったけど……。
また必ずくるから、いいや!
帰国の機内では、高校の卒業課題を必死に終わらせ……気がついた時には日本でした(単位が足りていなくて結構ピンチだった)。
日本最高か!笑
……以上で南米スリナム編、完結となります笑。
最後は釣りの話少なめになってしまいましたが、実際コレが僕の体感した“旅”のリアル。
今にして思えば……あのとき、簡単に“正解”を教えてくれなかった小塚さんには感謝しかない!
辛いことの方が圧倒的に多かった初海外旅ですが、帰国してみると今すぐにでも戻りたくなる不思議。
まだまだ細かいエピソードはたくさんありますが、日本での釣りもいい季節、僕の釣り旅も更新されていくので、スリナムの話はこれのあたりでおしまい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
<参考レポート>